私がこの本を手にしたきっかけはある経済誌の特集からだ。その特集では不動産投資によって資産家となった三十代前後の比較的若いサラリーマンたちの成功談を扱っていた。彼らはみな元手数百万円程度で投資を始めたが、今では複数の物件を所有しそこから生活には全くこまらない収入を得ており、本業のサラリーマンはほとんど趣味となっているという。その特集では彼らがいかに「勝ち組」となったか、その成功の秘訣を明らかにすることに終始しており、そしてその中で語られたことが、この『金持ち父さん貧乏父さん』であった。
そしてもうひとつ、その経済誌では別の特集でマンションバブルについても扱っていた。今後不動産の価格が継続的に上がっていく本質的な理由はなく、マンション売買は誰がババをつかませるためのババ抜き状態になっているのだという。もしそれが本当なら、ババをつかまされているのは上記のサラリーマン達ではないかと考えてしまう。この雑誌の編集者が皮肉をこめたのかは不明だが、私以外の読者はどのように考えたのだろうか(ちなみにその雑誌はPRESIDENTだ)。
さて、話はそれたが『金持ち父さん』のお話をまとめると次のようになる。金持ち父さんは資産家で資産を上手に運用することで資産から資産を生んでいる。一方貧乏父さんはまじめに一生懸命働いているが働けども働けども裕福になれない。著者は貧乏父さんの生きかたを否定するわけではないと言っているが、どう読んでも金持ち父さんの生きかたが賢く貧乏父さんの生きかたは愚かだという内容が書いてあるようにみえる。
私も別に金持ち父さんの生きかたを否定するわけではない。お金が必要なときに必要なところに必要なだけ投入されるシステムは社会に必要なことだと思うので、投資家という職業を馬鹿にするわけではない。会計の知識は投資に関わらなくても現代社会を生きていくには役に立つ知識だと思うし、実際私も少しはかじっている。しかしこの本は私のように資産を持たない人間は読んでもただただ空しくなるような内容しか書いていない。唯一共感できた部分は現代では今までの成功論は通じないという部分だけだ。そしてそのとおり、この本がベストセラーになった時点ですでにここに書いてある成功論はほとんど無意味だ。終盤にさしかかったババ抜き同然かもしれない成功論と対比するようにまじめにコツコツと働くことを否定するような内容を読んでも後悔するだけである。

「もし自分が実験室で培養されている脳だけの存在だったら」「すべてのレイヴンは本当に黒いのか」「宇宙全体の時間の流れがある日突然二倍になったとしたら」
以上のことは実はすべて証明不可能、もしくは証明が非常に困難な事柄である。
つまり、私達は今こうしてPCの前に座ってブログを閲覧しているつもりでも、実はそれらはすべて映画「マトリックス」のように電気信号を脳に直接送られ、擬似的な体験をしているだけかもしれない。実は手足は体についていなくて、脳だけが水槽の中に入れられて、キーボードを叩いているような錯覚を実験室の中で与えつづけられているのかもしれない。
私達が知っているカラスは黒いけれども、私達の知らない世の中には白いカラスがいるかもしれない。噂話やデマなどはどこから発生したのかなかなかつきとめられない。宇宙人は地球から見渡す範囲では見当たらないが、もしかしたらどこかの星には存在するかもしれない。
すべての時間の流れが突然二倍になったとしても、私達の生活に何の変化がおきるのであろうか。実は何も変化はおきない。そして時間の流れが変わったことを証明する手段すら存在しない。
なぜこれらのことが証明できないのかはこの本をよめば書いてあるが、要は数学的に証明不可能なのだと思う。二十世紀は数学的な証明の限界がさまざまな形で証明されてきた時代なのかもしれない。不完全性定理、カオス、従属可能性など。
パラドックスは非常に大きな数や小さな数がかかわってきた場合によく起こるようだ。1=2の証明や、アキレスと亀、トムソンのランプなどのパラドックスは、系に無限小や無限大の存在を入れてしまったために起こっている。古典物理学で無限小に近い系を扱おうとすると破綻する。またノーベル物理学賞をとったアンダーソンのMore is differentという言葉にもあるように、系の大きさが変わると物理の法則すら変わってくる。あたかもパラドックスにあわせて世界の体系が作られているような感じすらある。
でもパラドックスや矛盾がおきるのは世界に矛盾があるわけではなく、私達の体系の作り方に矛盾があるからなのだろう。世界は常に正しい法則で動いているのである。